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6月15日 三位一体主日

司式 小柳兄
説教 イ先生
奏楽 木村姉

主 日 礼 拝 式 次 第

前  奏     
初めの歌     「聖なる聖なる」 - 131 –
罪の告白とゆるしの言葉        式文1頁
キリエ/グロリア式文2頁
特別の祈り       週  報
聖書朗読
 第一朗読      イザヤ6:1~8   旧1041頁
第二朗読     2コリント13:11~13  新331頁
讃 美 頌       詩篇148     週   報
福 音 書   マタイの福音書28:16~20  新57頁
み言葉の歌     「よろずのもの/来たれ」  - 132 -
説  教「遣わされた人」李 正雨師
感謝の歌                     151
信仰告白        使徒信条   式文4頁
奉献と奉献唱式文5頁
奉献/教会の祈り      式文6頁     
聖餐の歌「恵みのつくえに」- 255(1-3) -
序  詞
サンクトゥス式文7頁
設定の言葉式文8頁
アグヌス・ディ式文9頁
配  餐
聖餐の感謝式文10頁
派 遣の 部                   式文11頁
ヌンク・ディミティス   
祝    福  
終わりの歌                 - 171-

詩編  148編
ハレルヤ。天(てん)において、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
高(たか)い天(てん)において、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
み使(つか)いらよ、こぞって、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
天(てん)の万(ばん)軍(ぐん)よ、こぞって、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
日(ひ)よ、月(つき)よ、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
輝(かがや)く星(ほし)よ、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
天(てん)の天(てん)よ、天(てん)の上(うえ)にある水(みず)よ、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
主(しゅ)のみ名(な)を讃(さん)美(び)せよ。主(しゅ)は命(めい)じられ、すべてのものは創(そう)造(ぞう)された。
主(しゅ)はそれらを世(よ)々(よ)限(かぎ)りなく立(た)て、越(こ)ええない掟(おきて)を与(あた)えられた。
地(ち)において、
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
海(うみ)に住(す)む竜(りゅう)よ、深(しん)淵(えん)よ、火(ひ)よ、雹(ひょう)よ。雪(ゆき)よ、霧(きり)よ。み言(こと)葉(ば)を成(な)し遂(と)げる嵐(あらし)よ。山(やま)々(やま)よ、すべての丘(おか)よ。実(み)を結(むす)ぶ木(き)よ、杉(すぎ)の林(はやし)よ。
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
野(の)の獣(けもの)よ、すべての家(か)畜(ちく)よ。地(ち)を這(は)うものよ、翼(つばさ)ある鳥(とり)よ。
主(しゅ)を讃(さん)美(び)せよ。
地(ち)上(じょう)の王(おう)よ、諸(しょ)国(こく)の民(たみ)よ。君(くん)主(しゅ)よ、地(ち)上(じょう)の支(し)配(はい)者(しゃ)よ。若(わか)者(もの)よ、おとめよ。老(ろう)人(じん)よ、幼(おさな)子(ご)よ。
主(しゅ)のみ名(な)を讃(さん)美(び)せよ。
主(しゅ)のみ名(な)はひとり高(たか)く、
威(い)光(こう)は天(てん)地(ち)に満(み)ちている。
主(しゅ)はご自(じ)分(ぶん)の民(たみ)の角(つの)を高(たか)く上(あ)げてくださる。
それは主(しゅ)の慈(いつく)しみに生(い)きるすべての人(ひと)の栄(えい)誉(よ)。
主(しゅ)に近(ちか)くある民(たみ)、イスラエルの子(こ)らよ。
ハレルヤ。
父、み子、聖霊なる神にみさかえ。
はじめも今ものちも代々に絶えず。アーメン

主日の祈り
全(ぜん)能(のう)の神(かみ)、栄(えい)光(こう)の父(ちち)なる神(かみ)さま。
み霊(たま)によってすべては新(あたら)しくされます。
主(しゅ)キリストのみ力(ちから)によって、一(いっ)切(さい)の恐(おそ)れと疑(うたが)いを私(わたし)たちから取(と)り除(のぞ)き、父(ちち)と子(こ)と聖(せい)霊(れい)のひとりの神(かみ)を礼(れい)拝(はい)する恵(めぐ)みを与(あた)えてください。
あなたと聖霊(せいれい)と共(とも)にただひとりの神(かみ)であり、永(えい)遠(えん)に生(い)きて治(おさ)められるみ子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン♪

本日の説教要約 (李 正雨師
マタイによる福音書28章16~20節
「遣わされた人」
本日のみ言葉のポイントは「遣わされる」ことです。聖書の中で「遣わす」または「遣わされる」はよく使われる言葉であり、ある出来事または人の変化や転換を表すときに使われる言葉です。
本日の本文を見てみると、主の弟子たちがガリラヤにある山に登って主と会っています。ところが、17節に「まだ疑う者もいた」という言葉があります。主の死と復活の出来事をいちばん知っているのは弟子たちでした。にもかかわらず、疑う者がいました。いったい、どうして疑い、何を疑っているのでしょうか。ある学者は、「イエスが復活した姿が以前と違っていたので」といいます。またある学者は「その時集まった人たちの中には11名の弟子のほかに500名の弟子(1コリ15:6)がいて、その人たちの中に疑う人がいた」と言います。ところが、私はそうは思いません。私は、この言葉に接するとき、モーセのことが思い浮かびました。モーセが神さまに呼ばれて遣わされようとしたとき、恐れましたし、嫌がり、いろいろと言い訳を言ったり、疑ったりもしました(出3~4章)。ところが、預言者イザヤは、たった一回で「わたしを遣わせてください」と、主の呼びかけに直ちに応えます。モーセは数十回も神さまとやり取りをしていますが、イザヤは一回でOKです。この2人の姿はまったく違います。しかし結果は同じです。マタイ17章の中の疑う人の姿からモーセの姿を見ます。18節で「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってパプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(19~20節)と言ってみんなを遣わせていることからそれがわかります。ですから、この言葉は、厚い信仰を持っている人にだけに語られた言葉ではなく、モーセのように、そして今の私たちのように信仰が弱く疑う人にも語られた言葉なのです。
 私たちは、疑うときもあれば、諦めたり、躓いたりするときもあります。しかし、私たちの弱さが主の呼びかけを止めることはできません。私たちの多くの罪が神さまの許しを止められないように、私たちの弱さが神の愛と摂理を止めることはできないのです。ですから、恐れないでください、主がなさいます。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(20節)。これが変わらない主の約束です。私たちがこの世での生を終えるその日まで、主は私たちとともにおられます。

お知らせ
6月19日(木) 午前10:30~12:00 吉田ひろみ姉宅で家庭集      
会(聖書研究)が予定されています。浦和駅近くになります。参加希望の方は、吉田姉に連絡してください。
6月22日(日)礼拝後、建築現場にてお祈りをします。教会員の方はぜひ残ってください。会堂の棟上げが16~18日で行われます。中の骨組みが見れるのはこの時期だけとなります。      
6月8日(日)に佐々木幸太兄が鈴木牧師の元、受洗されました。
佐々木兄は鈴木牧師から受洗の学びを受けており、鈴木牧師が西東京に移られた後も学びを継続されていました。自宅に近い浦和教会の会員として教会に繫がることを希望され、鈴木牧師からの依頼の手紙が役員会で了承されました。
by urawalutheran | 2014-06-14 15:09 | 今週の礼拝