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2016年度年間聖句

新年あけましておめでとうございます!
本年も神さまの愛の御手にすべてをゆだね、安心してすごしましょう。
2016年度の年間聖句が決まりました。

2016年度年間聖句

「主を喜び祝う」

ネヘミヤ記8:10

初めに簡単にネヘミヤ記の概要を説明したいと思います。

 紀元前6世紀にユダヤの国はバビロニア帝国に滅ぼされエルサレムの城壁は破壊され町は焼け落ちます。そしてユダヤ人の多くは捕囚され国を失い奴隷となりました。捕囚され国を失い、心の支えであったエルサレムが滅ぼされた人々の苦しみ悲しみは想像を絶するものであったでしょう。

 しかし、バビロニア帝国がペルシャ帝国に滅ぼされ、捕囚の民は解放され国に帰ることとなりました。そしてエルサレム再建のためにネヘミヤは尽力するのでした。さまざまな妨害にあいながらもユダヤの人々は、なんと52日間でエルサレムの城壁を再建します。そして町にいる人々に向けて主が祭司エズラにモーセの律法の書を持ってこさせ読み聞かせました。

「民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた(8:9)」とあります。主の言葉が彼らの心に深く刺さり、深い罪の自覚の中で人々は涙を流したのです。おそらく人々は、罪のゆえに起きたこれまでの出来事、捕囚され国を失い礼拝することもできないような状況に陥ってしまったことを思い出していたのではないでしょうか。しかし今、彼らはエルサレムに戻ることができ、皆で城壁を再建し、エルサレムで主のみ言葉を聴き、礼拝することができるようになったのです。

涙している民にネヘミヤは言います、「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と。そして、「民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った(8:12)」とあります。

聖書は言います「主を喜び祝う」ことこそ私たちの力の源であると。私たち浦和ルーテル教会は主からいただいているさまざまな恵みに心向け、大いに喜び祝い感謝し、力を得て信仰生活を楽しく、平安のうちに過ごしていく共同体でありたいと思います。

去年の最終主日で東海林寛子姉が、「今年一年間で神さまからいただいたものは何でしょうか?私たちは絶えず求めてはいるけれども、いただいたものはすぐに忘れてしまっているのではないでしょうか。」ということを話され、私自身も神さまから与えられた様々な恵みを覚えて歓んでいるだろうかということを考えさせられました。どんな些細なことでも神さまからいただいている恵なのだということを絶えず思い越こし、感謝し喜ぶものでありたです。

「民は皆、食べたり飲んだりし、大いに喜んだ」のです。私たちも食事ができることを喜び、今日という一日が与えられたことに感謝し、聖書を読むことができることを楽しむ。与えられたいのちの日々を大いに楽しみ、喜び感謝するということは主を喜び祝うことになるのでしょう。すべてのことを「あたりまえ」のように過ごすのではなく、すべてのことを「ありがたい」という感謝の思いで過ごしたいものです。

聖書は人間の姿、私という人をよくよく映し出す鏡のようなものでもあります。ネヘミヤ記を読み進めていきますと、エルサレムを再建し、主を礼拝し、喜んでいた民は、徐々に堕落し主の前に罪を犯すものとなっていくその有様を記し最後に、「わたしの神よ、わたしをみ心に留め、お恵みください」という言葉で結ばれています。

私たちの神さまは私たちが忘れてしまうとか、心に留めていることができないものであったとしても、神さまは私たちのことを決して忘れることなく、私たちのことをみ心に留めていてくださいます。

私の神、私たちの神さまが私たちを愛し、私たちをみ心に留めて与えてくださった最も大いなる恵みである主イエス・キリストを私たちは喜び祝います。私たちの罪の赦しのため、救いのために十字架にかかり、永遠のいのちの約束にあずからせてくださるために復活された主イエス・キリストを絶えず喜び祝い、感謝と讃美をささげます。

主を喜び祝うことこそ、私たちの力の源です。神さまから力をいただいて、活き活きとした信仰生活を送るその姿こそが一番の福音伝道、喜びの知らせの証しとなると思います。尽きることのない神さまの愛に心躍らせ、喜び祝う一年にいたしましょう。



by urawalutheran | 2016-01-02 11:45 | 教会ホーム