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by urawalutheran

聖金曜日の黙想

 仏教の如来や菩薩は慈悲深い仏として知られている。しかしどこにもそれを証明する客観的な裏付けがない。単にそのように信じられているだけである。
 神は愛である。神は愛の神である。このことは歴史的に実証されている。それは、イエス・キリストのことばと行いによる。その記録が聖書である。イエス・キリストの存在を歴史的に証明するのが、ローマのユダヤ総督ポンテオ・ピラトである。使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ……」
 ここに神の愛の裏付けがある。最も大切なひとり子を十字架につけて死なせてまで、人類を救うようにされた神の愛がここに集約されている。この愛は口先や見かけだけのものでなく、神ご自身のからだの肉が裂け、,血が噴出する犠牲を伴ったものである。Ⅰヨハネ4:7-10.
 神の愛はこの世界の歴史を貫き、流れている。その中心がキリストの十字架である。最高、究極の愛が十字架である。神が人間の罪の解決のために、苦しみ、叫び、血を流し、肉が切り裂かれたのである。ここに神の愛がある。ローマ5:8.
 様々な問題に直面し、一向に局面が打開せず、次第に失望が強くなり、神の愛を疑うようになったとき、肉が裂かれ、血を流し、苦しみ、叫ぶ主イエスの十字架の姿を思い浮かべ、これが神の愛であることを銘記し、神の愛の変わりなきことを確かにするのではないか。イエスさまが十字架にかかられたこの聖金曜日こそ、神の愛を強く覚えるときである。

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by urawalutheran | 2007-04-07 00:37